今回は、吉本興業の創業者・吉本せいさんの息子や、名言などをまとめています。

吉本せいさんがモデルとなったドラマラマについてまとめましたので、是非最後までお付き合いください!

吉本興業の創業者・吉本せい

吉本せいさんは、大変な苦労を重ねて吉本工業の創業者になりました。

兵庫県明石市にて12人兄弟の三女として林家に生まれたせいさんは、大家族のために貧相な暮らしを強いられていました。

小学校4年生までが義務教育だった時代のため、勉強をしたいという本心とは裏腹に家のために奉公に出されてしまいます。

19歳で吉本吉兵衛(よしもときちべえ)さんの家に嫁ぐも、芸能を好んだ吉兵衛さんの浪費のせいで生活は苦しく苦労は絶えなかったとのこと。

そんなある日、吉兵衛さんが寄席の会場を買うという約束を取り付けてしまいます。

しかし最低限のお金すらままならない状況で、会場の購入費用を賄うことができず、せいさんは頭を下げて回ってお金を何とか集めました。

無事に寄席の会場を買うことができたせいさんは、どうにかお金儲けをしたいとアイデアを絞ります。

結果、落語がメインの時代に、モノマネや琵琶など当時では珍しいものを披露して評判を呼び、お客さんがたくさん入るようになりました。

これをきっかけに吉兵衛さんも働くようになり、寄席を開いた翌年には『吉本興行部』を設立します。

吉兵衛さんが亡くなった後は2人の弟に経営を任せて、せいさんは慈善活動に取り組みます。

これが称えられて紺綬褒章などを受賞します。

その後、息子さんが亡くなった際に隠居を決め、60歳で生涯を終えました。

昔の女性は、今に比べて何倍も力強く気品を感じる気がします。

今では当たり前のお笑いも、せいさんがいなければ成り立っていなかったのかもしれませんね。

息子は?

吉本せいさんには8人の子供がいます。

6女2男という内訳で、8人の中で成人を迎えるまで生きることができたのは、三女・五女・六女・次男の4人だけでした。

せいさんは唯一の男の子である泰典さんを後継者として期待しており、泰典さんと恋人との結婚を許すことはありませんでした。

結局、泰典さんは結婚を許してもらうことなく他界してしまいます。

泰典さんと恋人の間には1人のお子さんがいますが、吉本の名を継ぐことなく、相手の女性が女で1人で育てたということです。

ちなみに泰典さんの恋人は、終戦後に「ブギの女王」と親しまれた笠置シヅ子さんとのこと。

どういう関係で知り合ったのか気になりますが、子どもと愛する人を残しての他界は無念でならなかったと思います。

吉本せい名言

吉本興行部を創立し、「おせいさん」と親しまれた吉本せいさんは、多くの名言を誕生させてといいます。

失敗は何にでもつきもんです。恐れててはなにもできまへん

時代を先取りして、誰の意見でも有り難く聴くことです。実行するせんはこちらが決めればよろしい

心許すときはしっかりその人を観なはれ

古い言葉ではありますが、現在でも何を指して言った言葉か読み取ることができますね。

この言葉を胸に前に進むことができたからこそ、現在の吉本があると言っても過言ではありません。

吉本せいがモデルになったドラマ

吉本せいさんをモデルにしたNHKの連続ドラマ『わろてんか』が、2017年10月2日~2018年3月31日の間、放送されました。

いつも周りを朗らかにしながら自分もよく笑う、いわゆる笑い上戸(=ゲラ)の女の子。ところがある日、父から”笑い禁止”を命じられ窮屈な日々を過ごすことに…。

そんな時、笑いをこよなく愛する旅芸人の藤吉と出会い、「笑って生きる」ことこそが自分の人生の希望だと確信します。運命的な恋に落ちたてんは、親の反対を振り切って駆け落ち同然に藤吉と大阪へ向かいます。

じつは藤吉は大阪船場(せんば)の老舗米問屋「北村屋」の長男であり、簡単に二人の結婚が許されるはずもありません。さらに北村屋の危機を救おうとした藤吉が大失敗をして店を傾かせてしまう事態に…。

その時てんは決意します。

「藤吉さんが好きな笑いを、商売にしてみませんか?」

その一言から、素人同然の若夫婦が大阪のみならず日本中の人を笑わせるべく、二人三脚の大冒険を始めます!

あらすじを見ると、吉本せいさんを推している割には人物像が離れている気がします。

それもあってか、視聴者からも評判があまり良くなかったようです。

吉本せいをモチーフにしている感じが、全くしない。
いっそ、脚本家の完全オリジナルと言ってくれた方が、吉本にとっても、良かった?

偶然、見ちゃう、偶然、聞いちゃう、偶然、会っちゃうなどの、ドラマの御都合主義における、『偶然』の数が、ギネス級!

吉本の創業者をモデルにしたことから、期待が高まりすぎてしまったのかもしれませんね。

創業者一族について

吉本創業者として活躍した吉本せいさんは、社長業から退いた後に弟に経営を任せています。

1948年、吉本せいさん(初代)は、弟の林(二代目)に社長の座を任せます。

しかし、二代目は糖尿病を患い、15年後に弟の高弘さん(三代目)に社長を任せることに。

高弘さんは、巨大ボウリング場やインドア・ゴルフ場を開くことで、吉本興業の業績を上げていくものの、脳梗塞で倒れてしまい、1970年からは正之助さん(四代目)が社長を務めます。

五代目は、血縁ではない橋本鐵彦さん(五代目)が、1977年には八田竹男さん(六代目)が社長になるも、1986年には四代目を務めた正之助さん(七代目)が社長に返り咲きました。

1999年に正之助さんの婿養子である林裕章さん(八代目)が社長の座につきますが、2005年に急死。

この先の社長は血縁ではない者が引き継いでいくことになりました。

吉本興業は、せいさんのお子さんも吉本の株を管理していたなど家族ぐるみで大切にしてきた会社のようです。

まとめ

お笑い芸人の事務所といえば、吉本興業と思いつくような大きな会社になったのは、創業してから努力を重ねてくれたせいさんの思いがあったからこそのものと思います。

歴史あるお笑いが、これからも楽しく平和的なものであるように応援しています!

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