笑点の歴代の司会とメンバーは?次の司会交代は誰?座布団10枚でどうなる?

今回は、長寿番組の『笑点』について、現在までの司会者や出演者を調査しました。

また、次回司会候補や座布団の秘密についてもまとめましたので、是非最後までお付き合いください!

目次

笑点の歴代の司会

笑点は、1966年から2019年現在までの53年間、毎週日曜夕方の時間帯に放送されて長寿番組です。

個性的な面々が出演するこの番組は、司会者の進行具合に注目されることも多いのではないでしょうか。

まず初めに、これまで『笑点』にて司会を行ってきた方々を紹介していきたいと思います。

初代司会者 立川談志

記念すべき初代司会者は、『笑点』を企画した立川談志さんです。

立川談志さんは、放送開始の1966年5月15日~1969年11月2日の3年間、司会を務めました。

1960年代半ばにテレビ・ラジオの電波メディアの普及で寄席に閑古鳥が鳴いている状況に危機感を抱き「これからは、落語家はテレビにもどんどん出て行かなきゃ駄目だ。」との考えから、テレビ局へ企画の売り込みを図った。

元々クセの強い落語家として、好き嫌いが大きく分かれる人物だったとのこと。

古典落語を現代風に表現する努力が評価されていました。

目の付け所は良いものの、ブラックジョークを好むことから敬遠されることも多かったようです。

2代目司会者 前田武彦

2代目司会者の前田武彦さんは、約1年間という現在最短の司会者です。

立川談志さんが卒業した後に司会者として出演が決まった前田武彦さんは、1969年11月9日 ~1970年12月13日まで司会を務めています。

そつなく司会をこなし、さりげないフォローを入れることができる前田武彦さんは、視聴者からの評判がとてもよかった人物です。

しかし、のちに桂歌丸さんがこのように語っていました。

打ち合わせの時なんか、スタッフや我々落語家がしゃべってる間、寝そべって聞いてる。

ハワイロケの時は大喜利メンバーはエコノミーなのに、自分だけファーストクラスです。

そういうところが評判悪かったですね

芸能人の方々の裏の顔には、良くも悪くも驚かされることばかりあります。

前田武彦さんが短い期間での司会だったのは、共演者からの不満が大きかったのかもしれません。

3代目司会者 三波伸介

3代目司会者である三波伸介さんは、現役司会時に急死してしまいました。

『笑点』を企画したのは、初代司会者である立川談志さんですが、現在のような『笑点』の土台となったのは三波伸介さんと言われています。

三波伸介さんは、司会経験が浅かったのも関わらず、笑点の司会に抜擢されています。

きっかけは、1970年2月8日にてんぷくトリオとしてゲスト出演した札幌の地方収録の回で、飛行機の欠航により出演できなかった前田武彦の代役として司会を務めたこと。

現在では定番である司会者いじりを定着させたのが三波伸介さんで、豊満な見た目から「豚」といじられることが多かったとのこと。

『笑点』出演時には必ずシミュレーションを行い、家族で楽しめる大喜利を心がけていたようです。

周囲に気遣いを欠かさないスタイルに人気を集めていましたが、急死に伴い1970年12月20日~ 1982年12月26日の12年間で『笑点』司会に幕を閉じました。

4代目司会者 三遊亭圓楽

4代目司会者である三遊亭圓楽さんは、初めて大喜利メンバーから司会者に上がった人物です。

『笑点』が始まった初代メンバーとして大喜利に参加していた三遊亭圓楽さんですが、三波伸介さんの急死がきっかけで1983年1月9日から臨時司会者として進行していきます。

三波伸介さんが作り上げた進行の流れやメンバーの空気感を定着させるべく、台本を無視したりと自由にやりすぎたことに一部批判の声が上がったこともあったようです。

圓楽は大喜利メンバー全員で一つのファミリーを形成しているとの考えを持ち、番組の空気やリズムになじむのに時間がかかるということでメンバーの入れ替えはほとんど行わなかった。

また、座布団運びを担当している山田隆夫さんが舞台上で出演者と絡む行為は、三遊亭圓楽さんからの助言だったそうです。

アットホームな雰囲気づくりを行って出演者も視聴者も楽しめる番組を作り上げてきましたが、2001年以降から脳梗塞の兆候が表れます。

その後も出演者の名前を度忘れするなど司会進行に差し支えてきたころに脳梗塞が発覚し、2006年5月14日に司会者を降りました。

司会歴は、2019年現在のなかで最長の23年間です。

5代目司会者 桂歌丸

三遊亭圓楽さんから司会を引き継いだ桂歌丸さんは、番組初の永世名誉司会に就任しいています。

5代目司会者として、2006年5月21日~2016年5月22日の10年間司会進行を務めてきた桂歌丸さん。

初期から出演していたこともあって、『笑点』最長出演者としても知られています。

一時は初代司会者の立川談志さんとの対立で『笑点』を降板していましたが、司会が変更になったと同時に復帰しています。

上下関係の厳しい落語界ではありますが、司会者となった桂歌丸さんはこのように話していました。

舞台に並んだら全員同格。
上も下もない

この言葉を出演者に言い聞かせ、若い世代の出演者が加入した際にも同じように話していたようです。

『笑点』出演時に、多くの病に侵されて治療を余儀なくされてきましたが、ほとんど出演に穴をあけることなく活動していました。

6代目司会者 春風亭昇太

2016年5月29日~2019年現在に至るまで司会を行っているのは、春風亭昇太さんです。

春風亭昇太さんは、5代目司会者である桂歌丸さんが司会者に選ばれたことによって追加された人物です。

大喜利メンバー加入のオファーがあった際には、『笑点』でのキャラクターがせっかくうまくいっている落語の仕事の邪魔になるのではないかと考えていたが、落語家の親に孝行したいという思いでオファーを引き受けた。

桂歌丸さんが勇退した後、出演者の中から司会者が決まるといった中で、どの方々も回答者から外すのは惜しいという消去方で司会者に選ばれたようです。

消去法に納得の声も上がるなか、若者視聴者を獲得するための抜擢とも言われていました。

先輩と後輩の板挟みの中、先輩方には「師匠」後輩方には「君」で指名していましたが、現在では「さん」呼びで定着しています。

歴代のメンバー

『笑点』には放送開始から現在まで、多くの方々が回答者として出演してきました。

世代によって独特な雰囲気を持つ面々は集まっていますが、落語界ではどの方々も素晴らしい実力の持ち主ばかりです。

そこで、あまり知られていない『笑点』出演者について一部紹介していきたいと思います。

三遊亭圓楽

4代目司会者でもある三遊亭圓楽さんは、1966年5月15日~1977年3月27日まで回答者として出演していました。

『笑点』では初回から大喜利回答者として出演した。
1968年(昭和43年)に立川談志と当時のメンバーの対立により降板したが、1970年(昭和45年)に復帰。
以降は紫色の紋付を着用したため、挨拶では「ラベンダーマン」と名乗ることが定例となった。
しかし、圓生から「おまえはこんな安っぽい芸人で終わるのか」とたしなめられたことから、落語に専念するため1977年(昭和52年)3月27日をもって番組を再び降板した。

何度か復帰と降板を繰り返していたようですが、最後に降板してからも『笑点』自体にはか関りを持っています。

その縁から、4代目司会者に抜擢されたのではないでしょうか。

若手時代は、所属事務所が星企画だったことから「星の王子様」と呼ばれて親しまれていたようです。

桂歌丸

桂歌丸さんは、『笑点』最長出演者です。

初期から『笑点』に出演している桂歌丸さんは初代司会者である立川談志さんと馬が合わず、一時降板をしています。

桂歌丸さんに限らず、初期の出演者はみんな降板をしていましたが、司会者が変わるタイミングで復帰を果たしました。

その後、復帰を果たした1969年11月9日~2016年5月22日の47年間を回答者・司会者という立場から『笑点』を支えてきました。

47年もの間、桂歌丸さんは多くの病に侵されますが、休んだのはわずか11日だけとのこと。

正に永世名誉司会の名にふさわしい人物なのではないでしょうか。

柳亭小痴楽

笑点に出演していた柳亭小痴楽さんは、なぞかけが得意な人物でした。

初代司会者である立川談志さんの盟友と知られている柳亭小痴楽さんですが、盟友と言われるだけあってブラックジョークのなぞかけを得意としていました。

「ビールとかけて、てんかん持ちの嫁との初夜ととく」「その心は?」「抜いたとたんに泡吹いた」

「ヤクザの喧嘩とかけて、おっぱいととく」「その心は?」「すったもんだで大きくなった」

「ウグイスとかけて、弔いととく」「その心は?」「なくなくうめに行く」 など

立川談志さんとの対立による出演者降板について、唯一司会者変更しても『笑点』に戻らなかったメンバーです。

当時降板直後に新設された東京12チャンネル(現在のテレビ東京)の演芸番組にレギュラー加入したため、『笑点』に復帰するのが難しかったからだとされている。

その後、酒浸りの生活から病に侵されてしまい、入院生活を余儀なくされたものの、49歳という若さで死去されました。

三遊亭金遊

三遊亭金遊さんは、桂歌丸さんのライバルとして『笑点』に出演されていました。

『笑点』の名物の1つにもなっていた三遊亭金遊さんと桂歌丸さんの罵倒合戦。2人のやり取りにかなり注目されていたようです。

不仲が囁かれていた2人ですが、実際の関係性についてこのように語られています。

実際は歌丸との不仲は番組を盛り上げるための番組内での演出であり、番組を離れての二人は1歳年上の歌丸から古典落語の稽古を付けてもらったりしており、歌丸によれば「アイツとは打ち合わせをしなくても、アドリブでポンポン出てくるんです」と阿吽の仲であったことを伺わせる発言をしている。

しかし、世間的には稽古の状況や阿吽の仲が知られていないため、外で2人が並んでいる姿に違和感を覚える一般の方が多かったようです。

そのため、地方ロケなどに出向いた際、外では2人でいることを避けていたと言われています。

また、『笑点』演出上キザっぽいキャラクターを演じていたものの、実際の自分とのギャップに悩んでしまい、酒浸りになってしまいました。

収録前にも酒を飲んでくるため、会場が酒臭くなり三遊亭金遊さんは活舌が回らず収録が成り立たなくなってしまいます。

その後、関係者に諭されて酒を控える努力をしていたものの、45歳の若さで急死してしまいました。

林家こん平

林家こん平さんは、現在も病気療養中です。

立川談志さんとの対立後、時期を遅らせて『笑点』に復帰した林家こん平さん。1972年7月30日 ~2004年9月5日の32間を桂歌丸さんや三遊亭圓楽さんと過ごします。

しかし、2004年8月に声帯に病気を患い入院を余儀なくされます。

師匠・(初代)三平の息子で、師匠歿後に自らが引き取って育てたこぶ平の2005年4月の9代目正蔵襲名披露を目途に復帰を希望しているとされていたが、果たせなかった。

『笑点』についてはしばらく座布団のみになっていたものの、2004年12月26日から代理として林家たい平さんが出演しています。

林家こん平さん自身は、『笑点』を引退していないと公言していて体調次第では復帰もあり得るとのこと。

現在正式メンバーである林家たい平さんも、代理という認識は今でも変わらないと話していました。

古今亭朝次

古今亭朝次さんは、1980年11月2日~1988年3月27日まで活躍されていました。

三遊亭金遊さんの急死に伴い出演者を補充するための人材を探している中で、若手大喜利にて活躍されていた古今亭朝次さんに声を掛けられました。

強面の容姿であったが、三遊亭小圓遊の後を引き継ぎキザなキャラクターを踏襲した。

1983年にメンバー入りした三遊亭小遊三とは、自称色男の小遊三とキザな立ち回りの才賀で罵倒合戦が繰り広げられた。

約7年を笑点で過ごし、『笑点』卒業後は奥さんの実家がある沖縄に出向いたことがきっかけで、日本中の少年院に出向く活動をしています。

経験を元に本を出版するなど、大人と子どもの向き合い方についてを考えているようです。

次の司会交代は誰になる?予想は?

視聴率の落ち込みから、司会が6代目・三遊亭圓楽さんに変更されると噂されています。

2016年に司会を交代し、これまでも視聴率20%台を叩き出してきたにも関わらず、近年は視聴率の低下が目立つと言われている『笑点』。

2018年4月1日にエイプリール企画として、司会交代後初めて三遊亭圓楽さんが司会を務めました。

いつもとはイレギュラーな流れだったこともあり、とても盛り上がった回になったと思います。

元々、司会交代の発表があった際、誰しもが三遊亭圓楽さんの次期司会を疑わなかったのではないでしょうか。

三遊亭圓楽さんは、見た目のダンディさに加えてさりげない腹黒さや少年のような笑顔で女性人気もあるように思います。

そのため、視聴率低下を回復するのにはうってつけの人物なのではないでしょうか。

他にも、日本テレビと良好な関係性を築くTOKIOの城島茂さんや、放送作家の高田文夫さんが候補として挙がっているようです。

座布団10枚でどうなる?

座布団を10枚集めると、様々な豪華景品がもらえます。

『笑点』の醍醐味といえば落語家たちの大喜利ですが、大喜利で高評価を得られれば座布団が与えられます。

この座布団を10枚集めることを目標に大喜利をこなしていきますが、回答者の心象が悪ければ座布団を没収されることもあります。

出演者の方々は、豪華景品を求めて座布団を集めています。

これまでにどのようなものが出ているのかをまとめてみました。

・昇太が「耳をすませば」を獲得。(2008年12月14日放送)
5代目圓楽の笑い声が聞こえてくるお守り袋(笑い袋)だった。

・好楽が「会いたかった」(AKB48の楽曲)を獲得。(2012年4月8日放送)
思わず「あー、痛かった」と言ってしまう、番組特製健康マットがプレゼントされた。

・小遊三が「日本テレビ開局60周年に因んだものすごい賞品」を獲得。(2013年12月1日放送)

巨大な歌丸の人形。両手には扇子、頭からは「祝日テレ60年」の旗が付いている。

このように大喜利ならではの賞品が用意されていて、中にはしょうもないギャグのためにロケに行く賞品もありました。

10枚集まった瞬間を見る機会はありませんが、だからこそ毎週見逃すことができない番組となりつつあります。

本物の座布団の値段は?

『笑点』で使用されている座布団は1枚36000円と、高額な座布団を使用しています。

出演者の方々が使用している座布団。ふかふかで座り心地よさそうですよね。テレビで使用するものなので、ある程度高額なことには納得です。

しかし、見た目は普通の座布団なのに高額なことには違和感を感じます。何か秘密があるのかと思い、座布団について調べてみました。

すると、『笑点』の座布団には、高く積んでも崩れにくい工夫がしてあることがわかりました。

高く積むことが前提である『笑点』の座布団には、安定用としてもう1枚座布団が仕込まれているようです。

下に沈み込むようにおもくしてあるため、見た目に反して重さが3㎏あるとのこと。座布団を運ぶ担当の山田隆夫さんは、4度のぎっくり腰を経験しているうです。

まとめ

今回は、『笑点』の出演メンバーについてまとめてみました。いかがだったでしょうか。

現在こそ和やかな雰囲気で番組が進行しいていきますが、全ては先人たちの思いやりからだったことがわかりました。

今後も、日本の文化であり後世につないでいきたい番組として、長く続いていくように応援しています!

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